村田佑輔ブログ◆天佑不待

役者・村田佑輔によるアレやコレやソレ

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「浮霧道中」其之参「清」中

それから暫くして上州から再び文が届いた。祝言の手筈が整ったので帰参せよ、との旨であった。
数日の間には江戸を出立しなければならない。
準備は既に済んでいた。が、次郎兵衛はなかなか宿を出ることができなかった。
霧の中の光景が、否、霧中に浮かぶあの娘の姿が、次郎兵衛の脳裏から離れなかったのである。

またね

あのとき、お清の口が形作ったであろうその言葉。その意味について次郎兵衛は数日、薄ぼんやりと思案していた。
『吉原は拍子木までが嘘を言い』
という言葉通り、おそらく遊女の手練手管なのであろうが、およそ苦界に生きる女郎らしからぬ無垢な笑顔が次郎兵衛の心を波立たせていたのだ。

あの笑顔が本物ならば、彼女は己の居る所が地獄と知らぬのか。それを知ればあの娘の顔にも霧が掛かるのであろうか。自分と同じ様に。

その様な薄暗い想いが首をもたげた。が、次郎兵衛は、
「なに、奇妙な縁で顔を合わせた間柄だ。餞別代りに遊んで行き、別れの挨拶をするのも江戸の粋らしいではないか」と、もっともらしい理由を並べて己を納得させた上で、漸く腰を上げたのである。

しかしながら次郎兵衛には吉原遊びの覚えもなければ、お清が何処ぞの遊女かも皆目分からない。
角吉に頼み込んで教示を受けるのも一手ではあるが、妙な勘繰りをされても面倒だ。
そこで次郎兵衛は暮六つの鐘が鳴る前に五十間道にある茶屋に入り、お清という名の女郎が居る見世がないか聞いて回ることにした。それらしい話を聞けば金を払い、口も利かぬ初回遊びをしては翌日別の見世を探す。三日も経たずに「床入れもしたがらない田舎の妙な吉原狂いが現れた」と、界隈で噂が立ち始めたのである。
しかし次郎兵衛。なに、もう金輪際吉原に来る事もなかろうて、と、気にも留めない。

それでもいよいよ出立の引き伸ばしも限度を迎える。今宵逢えなければそれまでの縁だったという訳だと、次郎兵衛は細見片手に吉原行きの男衆を捉まえては話を聞いて回った。

「私も長い事吉原で遊ばせて貰っているがね。お清という名の花魁は聞いた事がないね」
通い慣れているだろう初老の商人はそう言って茶屋から出て行った。
「旦那、引付茶屋に行くならそろそろ大門くぐらねえと」
茶屋の主人にそう言われ、次郎兵衛は仕方無しと立ち上がろうとしたときだ。

「おせいというのは清の字を書くのか?」
「いえそこまでは聞いておらぬのです」
横からの声に思わず応えてから、はてと振り向いた。そこに立っていたのは一人の浪人風体の男。
よくよく見ると次郎兵衛が見惚れる程の美丈夫である。だがその顔立ちには不釣合いな、みすぼらしい着物を纏っていた。
次郎兵衛が困惑していると、その男は次郎兵衛が広げていた細見の一端を指差した。
「もしそうであるならば、立花屋の清久という女郎がそうかも知れぬぞ」
それだけ言うと男はそのまま茶屋を出て行ってしまった。
「あの方は?」
「繁山様ですかい?どこぞの御武家様の次男坊でよく吉原に通ってたんですがね。お家が改易されたとかで今じゃ時たま河岸女郎を買いに来る程度。近頃やや子が生まれたばかりだと聞いてたんで不憫でねぇ…」
主人の言葉を受けて、次郎兵衛は遠のく男の背中を見送りながら思った。

不幸であれ、豪雨の如く劇的であったならば…己の今生が霧の中にあるような思いをせずに済んだのだろうか、と。

| 舞台 | 08:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「浮霧道中」其之参「清」前

『雨が降ったり止んだりする様に、この憂き世は己の思う通りにならないこともある。

けれど貴方の心には、どちらでもない、ずっと霧が掛かっているようだった』


「浮霧道中 -異聞・憂世彼方-」



お清と名乗ったその娘は、よくよく見ればまだ年の頃も15、6といった少女であった。
次郎兵衛と大して歳は離れておらぬが、快活な話し方とその瞳がやや娘を幼くみせた。
「お清とやら。このような刻限に、ここで何をしている」
小さな声で次郎兵衛はお清に訊ねた。不覚と言えど朝方に勝手に大門を通った事が四郎兵衛会所の者に知れれば何を言われるか分からない。
しかしその様な事情は露知らず。お清は先程と同じ元気な大声で応えた。

「お清は立派な花魁になるんだよ!だからここで道中のお稽古をしているの」
「これ、もう少し静かに話しておくれ」

そう言う次郎兵衛の慌てた姿が余程可笑しかったのか、お清は大きな瞳を更に丸くしながら笑顔を浮かべている。
「ああそうだ。外に出ているのが知れたら姉さんや十平に怒られるものね」
じゅうべえ、とは番頭か牛太郎の名であろうか。ここにきて漸くお清は声を潜めた。
「じろー…様はこんな刻限に、切り見世帰り?」
「佐野次郎兵衛だ。見物に来ただけだと先程申した。霧が濃くて入り込んでしまったのだ」
思わず早口になる。
「大門ならあっちだよ。お清が連れてってあげる」
そう言うとお清は次郎兵衛の袂を三指で摘み、濃い朝霧の中を悠々と歩き始めた。
「見えるのか?この霧の中で」
「この時季の明け方はいつもこうなの。お清は毎日この時間にこっそり外に出ているから慣れてるんだ」

雪駄が、湿気を含んだ砂利を踏む音だけが響いた。

程なくしてお清は手を放し指を差す。そこが大門ということだ。大門のすぐ横には番所がある。不寝番に見つからぬ様に帰してくれる心積もりなのであろう。謝意を込めて軽く頭を下げると、お清は笑顔のまま口だけを三度動かした。


ま・た・ね


五十間道の先にあるはずの見返柳が、大きく風で揺らいだ気がした。

| 舞台 | 11:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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阿吽剣究会4月稽古スケジュール

【4月の稽古スケジュール】

1(土)
■柏木地域センター会議室1B→A
17:30~19:30
19:45~21:45

8(土)
■大森東地域センター 第1集会室
18:00~22:00

15(土)
■落合第一地域センター第一集会室B
17:30~21:45

21(金)
■柏木地域センター会議室1B→A
17:30~19:30
19:45~21:45

29(土)
■大森東地域センター 第1集会室
18:00~22:00

| 阿吽剣究会 | 12:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「浮霧道中」其之弐「霧」

『霧が晴れずとも心は晴れる。
君の言葉にそうあった。
ならば霧中にいる君の周りを晴らすには、私はどうしたら良かったのだろうか』

「浮霧道中 -異聞・憂世彼方-」

豪農の息子、佐野次郎兵衛の江戸逗留も半月が過ぎた。
見るもの全てが新しく、目まぐるしく、時が経つのはあっという間だった。
その日も、下男を連れて材木問屋、廻船問屋、油問屋、絹問屋と見てまわり休憩がてら縁日に立ち寄ったところであった。

江戸の喧騒は怒気の薄い張り声と、笑いの塊りのようなものであったが、次郎兵衛はどこかそれが自分の体躯をすり抜けていくように感じている。

己が死ねば笑いは聞こえぬし、他が死ねば笑いは起きぬ…

周りが眩しい反面、全てが靄掛かって見えた。

「次郎兵衛さんよ」
いきなり背後から声を掛けられ、次郎兵衛は一瞬身をすくめた。出立前に父親から譲り受けた脇差に手を掛けそうになった程である。なんのことはない。この次郎兵衛という男は予期せぬ事象は全て敵意と取る悪い癖がある。
「なんだ、角吉さんかい。驚かさないでおくれよ」
振り返って漸く次郎兵衛は胸を撫で下ろした。
声を掛けた男は江戸逗留の間に顔見知りになった、この界隈で江戸の噂を語り売る、読売であった。
「今日も威勢がいいね」
「いやいや、歳のせいで身体が思う様に跳ばねぇや。早い所弟子とって、この『吉』の字譲りてえわ」
そう言って、この角吉という読売は小さい体躯からは想像できぬ程の笑い声を飛ばした。この男が街中に出れば、どんな法螺話であろうとも、跳んで踊って町人を虜にしてしまうのだ。
「今日はこのまま宿にお帰りかい」
「それなんですがね、角吉さん。吉原へはどう行ったらよいですか」
次郎兵衛からの思わぬ言葉に、角吉は一瞬目を細めた。
「吉原なら浅草寺の裏通って日本堤ですが…この時間からってのは随分お急ぎですかい」
「いやいや。大門前を見物しようというだけですよ。上州から文が届きましてね。近いうちに戻ることになりそうだから」
その言葉に偽りはなかった。あの父親にしては嫁を用意するのに随分手間取っているものだ、と思う程である。

角吉と別れた次郎兵衛は裏道を通って、浅草寺を越えていくことにした。
人と言葉の多い表通りは、次郎兵衛にはあまり心地がよくない。向かう先に対してもだ。

『折角だから吉原にでも寄ったらどうだ』

直接帰れとの便りが来る前に、柿右衛門への義理を通しておこうという腹積もりであった。
いや、義理以前の問題で、次郎兵衛は話の筋が円滑に通らないと自分の所為だと思い込む節があった。帰ったときに「行ってはおらぬ」と言えば、何故どうしての言葉が出てくる。それが彼にとっては億劫なのだ。

とぼとぼと虚空を見つめて歩いていると、ふと下男が「旦那様」と口を開いたのに気付いた。
「何か」
「御武家様のお通りでごぜえます」

細い路地に向こうから供廻りを連れた馬がゆっくりと近付いてきている。次郎兵衛は慌てて隅に寄り軽く頭を下げた。この天下泰平の世、金回りを主として武士も随分と身近になったものだが、田舎者の次郎兵衛にとってはまだまだ侍は畏怖の対象であった。

「俺はこのまま武助の所に行ってくる」
「都筑様の所で御座いまするか。若様、あまりお父上のお耳に入らぬように…」

馬が通り過ぎる時に会話が聞こえた。随分と若い声である。
蹄の音に混じって乾いた音が聞こえた。ふと見ると印籠が落ちている。次郎兵衛は咄嗟に声を出してしまった。

「御武家様、印籠を落としになりました」

これには下男も大いに驚いた。無礼と取られれば何をされても文句は言えぬ。しかしながら、馬は踵を返して次郎兵衛の目の前にやってきた。
「これはかたじけない。礼を言う」
供廻りに拾わせ、快活に喋ると、そのまま若い侍は去っていった。

「随分と若い。どこぞの若様だったのだろうか」
「旦那様、あれはこの付近にお屋敷を構える、羽林様の御嫡男でごぜえますよ。奉行所への出仕もお決まりになっているようですが、御当主様の目を盗んでは随分と奔放に過ごされているとか」
「そうか」
一瞬しか交錯しなかった若武者の力強い眼を思い出して次郎兵衛は思った。できるなら父親というものの難儀について酒でも飲みながら意見を交えたい、と。

それは叶わぬことであるが。

浅草寺裏を通り吉原大門を一目して、次郎兵衛は成る程これは一見の価値があると唸った。
しかしながらその向こうは、怨嗟を隠すように極彩色で飾られているように思われて、近寄りがたいとも感じていた。
「これ。ここで見物がてら飲んでいくから、お前も適当に遊んでお帰り」
下男に金を渡して帰らせると、次郎兵衛は二階から大門が見える宿で晩酌を始めた。
帳が下り、次郎兵衛の酒が深くなって陰鬱になっていく反面、大門から見える仲之町の賑わいは大きくなっていくようだった。

死ねば皆仏、この憂き世で何をなそうとも全くの霧中ではないか。
兄が私で私が兄であったなら、私の生に意味はなかった…いや、今生のままでも意味はあるのか。
だが、あの大門の先は可哀想かな憂き世どころか地獄なのだ。

ふと気付くと次郎兵衛は酔いに任せて突っ伏していた。
見るともう明け方近い。
外に出ると濃い朝霧が掛かっていた。六尺先も霞んで見える程だった。

まるで私の心模様だ。

そんな事を思って歩いているうちに次郎兵衛はどこを歩いているか分からなくなり、いつの間にか大門の内にきているようだった。
これはいけないと、道を探していると。霧の中にぼんやりと人影が見えた。
「もし…」
そう言いかけて次郎兵衛は息を呑んだ。
美しい娘がまるで雲の中を歩くように優雅に歩みを進めている。
どこぞの店のお職であろうか。次郎兵衛が呆気に取られていると、娘の方が此方に気付いたようだった。次郎兵衛は慌てて言葉を捜す。
「わ、私は大門を見物に来た次郎兵衛といいますが、其処許はどこぞの花魁か」

その言葉を聞いて一瞬首を傾げた娘が、まるで朝霧全てを吹き飛ばすような笑顔と声で言い放った。

「お清だよっ!」

「……は?」



其之弐「霧」

| 舞台 | 00:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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其之壱「父」

『霧と雲に違いなどない。
山に雲がかかれば地上の人は雲だと言い、山中の人は霧だと言う。
大気に浮かぶか、地面に接しているか、定義の違いである』






男が江戸にやってきたのは、父の言いつけであった。

兄が元服前に他界した後まるで後備えをこしらえるように、父親は自分に商人としての教育を始めた。

「このように簡単に人は死に、そして忘れていくのか」

幼い頃の男の脳裏に、陽炎の様にこびり付いた想いであった。

それから時は経ち、
少々若いが器量としては店を継ぐに値する。しかしながら妻がおらぬ。
これまた兵糧をこしらえるように、父親は相手を探し始めた。
「準備が整うまでの暇を使い、江戸の商売をよくよく学べ。上州に戻れば即祝言、これで一安心」という塩梅なのである。

「それは羨ましい限りではないか。俺など若いうちに江戸に行く縁など巡ってこないかもしれん」
ともに商いを学んだ兄貴分までこのように言う始末である。
「私には実感がないのです。顔も知らぬ妻を娶り、一度は家を出される身だった自分が稼業を継ぐという」
「いつ出立するのだ」
気弱をいつも通りと流す辺り、男のことを良く理解している。
「本多のお殿様からお許しの書状が届き次第です」
「それは結構、先代の城主真田様のような気概で行けよ。折角だから吉原にでも寄ったらどうだ」
恰幅の良い身体で肩を叩かれ、男は困ったような笑顔を浮かべた。

「考えておきますよ、柿右衛門殿」

それから数日、関所にて出立する男の見送りに柿右衛門がやってきた。
「本当は共に行って頂きたい位です」
特有の、虚を見るような瞳で男は呟いた。
「なあに、俺は隠居したらお前の息子にでも連れてってもらうさ」
そんな先の話、と言いかけて男は止めた。この素っ頓狂な語り口で皆を笑わせるのが柿右衛門なりの優しさなのだ。
「それでは、行って参ります」
「うむ、達者でな」
別れを告げて、関所に向かう。
朝霧の掛かった中、まるで黄泉の国からの響くように、役人の声が届く。

「免状をこれへ。そして名乗られよ」


「沼田藩佐野名主基八郎が嫡男、佐野次郎兵衛に御座りまする」



「浮霧道中 -異聞・憂世彼方-」其之壱

| 舞台 | 03:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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