村田佑輔ブログ◆天佑不待

役者・村田佑輔によるアレやコレやソレ

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「浮霧道中」其之弐「霧」

『霧が晴れずとも心は晴れる。
君の言葉にそうあった。
ならば霧中にいる君の周りを晴らすには、私はどうしたら良かったのだろうか』

「浮霧道中 -異聞・憂世彼方-」

豪農の息子、佐野次郎兵衛の江戸逗留も半月が過ぎた。
見るもの全てが新しく、目まぐるしく、時が経つのはあっという間だった。
その日も、下男を連れて材木問屋、廻船問屋、油問屋、絹問屋と見てまわり休憩がてら縁日に立ち寄ったところであった。

江戸の喧騒は怒気の薄い張り声と、笑いの塊りのようなものであったが、次郎兵衛はどこかそれが自分の体躯をすり抜けていくように感じている。

己が死ねば笑いは聞こえぬし、他が死ねば笑いは起きぬ…

周りが眩しい反面、全てが靄掛かって見えた。

「次郎兵衛さんよ」
いきなり背後から声を掛けられ、次郎兵衛は一瞬身をすくめた。出立前に父親から譲り受けた脇差に手を掛けそうになった程である。なんのことはない。この次郎兵衛という男は予期せぬ事象は全て敵意と取る悪い癖がある。
「なんだ、角吉さんかい。驚かさないでおくれよ」
振り返って漸く次郎兵衛は胸を撫で下ろした。
声を掛けた男は江戸逗留の間に顔見知りになった、この界隈で江戸の噂を語り売る、読売であった。
「今日も威勢がいいね」
「いやいや、歳のせいで身体が思う様に跳ばねぇや。早い所弟子とって、この『吉』の字譲りてえわ」
そう言って、この角吉という読売は小さい体躯からは想像できぬ程の笑い声を飛ばした。この男が街中に出れば、どんな法螺話であろうとも、跳んで踊って町人を虜にしてしまうのだ。
「今日はこのまま宿にお帰りかい」
「それなんですがね、角吉さん。吉原へはどう行ったらよいですか」
次郎兵衛からの思わぬ言葉に、角吉は一瞬目を細めた。
「吉原なら浅草寺の裏通って日本堤ですが…この時間からってのは随分お急ぎですかい」
「いやいや。大門前を見物しようというだけですよ。上州から文が届きましてね。近いうちに戻ることになりそうだから」
その言葉に偽りはなかった。あの父親にしては嫁を用意するのに随分手間取っているものだ、と思う程である。

角吉と別れた次郎兵衛は裏道を通って、浅草寺を越えていくことにした。
人と言葉の多い表通りは、次郎兵衛にはあまり心地がよくない。向かう先に対してもだ。

『折角だから吉原にでも寄ったらどうだ』

直接帰れとの便りが来る前に、柿右衛門への義理を通しておこうという腹積もりであった。
いや、義理以前の問題で、次郎兵衛は話の筋が円滑に通らないと自分の所為だと思い込む節があった。帰ったときに「行ってはおらぬ」と言えば、何故どうしての言葉が出てくる。それが彼にとっては億劫なのだ。

とぼとぼと虚空を見つめて歩いていると、ふと下男が「旦那様」と口を開いたのに気付いた。
「何か」
「御武家様のお通りでごぜえます」

細い路地に向こうから供廻りを連れた馬がゆっくりと近付いてきている。次郎兵衛は慌てて隅に寄り軽く頭を下げた。この天下泰平の世、金回りを主として武士も随分と身近になったものだが、田舎者の次郎兵衛にとってはまだまだ侍は畏怖の対象であった。

「俺はこのまま武助の所に行ってくる」
「都筑様の所で御座いまするか。若様、あまりお父上のお耳に入らぬように…」

馬が通り過ぎる時に会話が聞こえた。随分と若い声である。
蹄の音に混じって乾いた音が聞こえた。ふと見ると印籠が落ちている。次郎兵衛は咄嗟に声を出してしまった。

「御武家様、印籠を落としになりました」

これには下男も大いに驚いた。無礼と取られれば何をされても文句は言えぬ。しかしながら、馬は踵を返して次郎兵衛の目の前にやってきた。
「これはかたじけない。礼を言う」
供廻りに拾わせ、快活に喋ると、そのまま若い侍は去っていった。

「随分と若い。どこぞの若様だったのだろうか」
「旦那様、あれはこの付近にお屋敷を構える、羽林様の御嫡男でごぜえますよ。奉行所への出仕もお決まりになっているようですが、御当主様の目を盗んでは随分と奔放に過ごされているとか」
「そうか」
一瞬しか交錯しなかった若武者の力強い眼を思い出して次郎兵衛は思った。できるなら父親というものの難儀について酒でも飲みながら意見を交えたい、と。

それは叶わぬことであるが。

浅草寺裏を通り吉原大門を一目して、次郎兵衛は成る程これは一見の価値があると唸った。
しかしながらその向こうは、怨嗟を隠すように極彩色で飾られているように思われて、近寄りがたいとも感じていた。
「これ。ここで見物がてら飲んでいくから、お前も適当に遊んでお帰り」
下男に金を渡して帰らせると、次郎兵衛は二階から大門が見える宿で晩酌を始めた。
帳が下り、次郎兵衛の酒が深くなって陰鬱になっていく反面、大門から見える仲之町の賑わいは大きくなっていくようだった。

死ねば皆仏、この憂き世で何をなそうとも全くの霧中ではないか。
兄が私で私が兄であったなら、私の生に意味はなかった…いや、今生のままでも意味はあるのか。
だが、あの大門の先は可哀想かな憂き世どころか地獄なのだ。

ふと気付くと次郎兵衛は酔いに任せて突っ伏していた。
見るともう明け方近い。
外に出ると濃い朝霧が掛かっていた。六尺先も霞んで見える程だった。

まるで私の心模様だ。

そんな事を思って歩いているうちに次郎兵衛はどこを歩いているか分からなくなり、いつの間にか大門の内にきているようだった。
これはいけないと、道を探していると。霧の中にぼんやりと人影が見えた。
「もし…」
そう言いかけて次郎兵衛は息を呑んだ。
美しい娘がまるで雲の中を歩くように優雅に歩みを進めている。
どこぞの店のお職であろうか。次郎兵衛が呆気に取られていると、娘の方が此方に気付いたようだった。次郎兵衛は慌てて言葉を捜す。
「わ、私は大門を見物に来た次郎兵衛といいますが、其処許はどこぞの花魁か」

その言葉を聞いて一瞬首を傾げた娘が、まるで朝霧全てを吹き飛ばすような笑顔と声で言い放った。

「お清だよっ!」

「……は?」



其之弐「霧」
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