村田佑輔ブログ◆天佑不待

役者・村田佑輔によるアレやコレやソレ

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其之壱「父」

『霧と雲に違いなどない。
山に雲がかかれば地上の人は雲だと言い、山中の人は霧だと言う。
大気に浮かぶか、地面に接しているか、定義の違いである』






男が江戸にやってきたのは、父の言いつけであった。

兄が元服前に他界した後まるで後備えをこしらえるように、父親は自分に商人としての教育を始めた。

「このように簡単に人は死に、そして忘れていくのか」

幼い頃の男の脳裏に、陽炎の様にこびり付いた想いであった。

それから時は経ち、
少々若いが器量としては店を継ぐに値する。しかしながら妻がおらぬ。
これまた兵糧をこしらえるように、父親は相手を探し始めた。
「準備が整うまでの暇を使い、江戸の商売をよくよく学べ。上州に戻れば即祝言、これで一安心」という塩梅なのである。

「それは羨ましい限りではないか。俺など若いうちに江戸に行く縁など巡ってこないかもしれん」
ともに商いを学んだ兄貴分までこのように言う始末である。
「私には実感がないのです。顔も知らぬ妻を娶り、一度は家を出される身だった自分が稼業を継ぐという」
「いつ出立するのだ」
気弱をいつも通りと流す辺り、男のことを良く理解している。
「本多のお殿様からお許しの書状が届き次第です」
「それは結構、先代の城主真田様のような気概で行けよ。折角だから吉原にでも寄ったらどうだ」
恰幅の良い身体で肩を叩かれ、男は困ったような笑顔を浮かべた。

「考えておきますよ、柿右衛門殿」

それから数日、関所にて出立する男の見送りに柿右衛門がやってきた。
「本当は共に行って頂きたい位です」
特有の、虚を見るような瞳で男は呟いた。
「なあに、俺は隠居したらお前の息子にでも連れてってもらうさ」
そんな先の話、と言いかけて男は止めた。この素っ頓狂な語り口で皆を笑わせるのが柿右衛門なりの優しさなのだ。
「それでは、行って参ります」
「うむ、達者でな」
別れを告げて、関所に向かう。
朝霧の掛かった中、まるで黄泉の国からの響くように、役人の声が届く。

「免状をこれへ。そして名乗られよ」


「沼田藩佐野名主基八郎が嫡男、佐野次郎兵衛に御座りまする」



「浮霧道中 -異聞・憂世彼方-」其之壱
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